こんにちは!
ガンバリオンの広報です。
2024年8月13日に株式会社ガンバリオンは設立25周年を迎えました。
四半世紀にわたり、数々のゲームタイトルを世に送り出してきたガンバリオン。
今回はその節目を記念して、会社のトップである代表取締役と取締役の3名による座談会を開催しました。
前編の今回は「ガンバリオンのこれまで」と題し、ガンバリオン設立当初のエピソードやこの25年間で印象に残っている出来事などを振り返ります。
ガンバリオンの25年の歩みを、当時を知る3人の言葉で紐解いていきます!
目次
■山倉 千賀子(写真中央)
株式会社ガンバリオン 代表取締役社長
1999年にガンバリオンを設立。ガンバリオン開発タイトルのプロデュースを設立当時から手掛ける。
代表作は人気テレビアニメ「ワンピース」のゲームをはじめ、大人向けから家族で遊べるものまで多様に渡る。■吉田 秀治(写真左)
株式会社ガンバリオン 取締役/開発担当役員
ガンバリオン設立メンバーの一人。開発担当役員として数々のガンバリオン開発タイトルのディレクターを務める。最新開発タイトル『ドラゴンボール ゲキシン スクアドラ』ディレクター。■石井 泰寛(写真右)
株式会社ガンバリオン 取締役/テクニカルディレクター
2001年にプログラマー職として入社。内製エンジンやツールなどを開発するテクニカルチームを立ち上げ、ガンバリオンの開発環境の整備に従事。
ガンバリオンの設立25周年について
ーまずはガンバリオン設立25周年をむかえた率直な感想をお願いします。
山倉:率直な感想は「言葉にならない」ですね。こんなに長く会社を続けることが出来るなんて設立当初は思っていませんでした。毎日正解がない中で必死にゲーム開発をしていましたが、正解がなかったからこそ、ここまで来られたのかもしれません。
吉田:会社を作った当時、ゲーム業界自体がまだ25年も経っていなかったので、社長と同様に会社が25年も続くなんて全く想像していませんでした。四半世紀って言葉にすると重いですね。人生の半分以上をこの会社と共に歩んできたなと実感します。
石井:私は21歳の時に入社したので、吉田さんと同じく人生の半分以上をガンバリオンで過ごしていることになります。改めて考えると恐ろしいですが、それだけ長く続けられる環境があったことはありがたいですね。

ガンバリオン設立当時の佐世保オフィス
ーガンバリオン設立の経緯を教えて下さい。
吉田:前職のゲーム事業部が閉鎖される頃に、そこで開発をしていたメンバーと「一緒にゲームを作りたいね」と始めたのがきっかけです。近所のファミレスにみんなで集まって、会社のことを話し合っていました。
山倉:若かったからこそ出来たことですね。会社設立については特に周りに相談することもなく、自分たちだけで全部決めていました。業界の人に相談するという発想すらなかったです。
吉田:それができたのは「このメンバーで一緒にゲームを作った」という経験があったから。信頼関係をもった仲間たちだったからこそ、自然と集まって会社を始められたのだと思います。
ー石井さんはどういった経緯で入社されたのですか?
石井:私はゲーム系専門学校に通っていて、学校経由でガンバリオンの求人を知りました。当時は福岡にゲーム会社があることすら知らなかったのですが、ちょうど募集を知ったタイミングでなんとか応募できる作品が用意できたので、ガンバリオンに応募してみました。
吉田:石井さんの作品は、ゲーム自体はタイトル画面しか動かなかったけど、ソースコードがすごく良かった。ライブラリを自作していて、技術的に高いレベルのものでした。
山倉:そのタイトル画面の出来がすごく良かったので採用となりました。今思えば、あの時の判断は正しかったと思います!
石井:面接官が山倉社長と吉田さんだったのですが、お二人じゃなかったら私は入社できてなかったと思います。さっき「面接のことは覚えてない」って言われましたけど(笑)
25年の変化について
ー25年間ゲーム開発を続けてきて、一番感じる業界の変化はなんでしょうか?
吉田:一番変わったのは、1本のタイトルにかかる規模ですね。昔は人数も12人、8か月ほどの期間で開発をしていたものが、今では100人以上のスタッフが関わるのは当たり前になっています。
山倉:確かに『ONE PIECE グランドバトル!』の開発は12人でやっていましたね…。当時のゲームはデータ量が限られていたので「いかにデータを削るか」が重要でした。今は逆に「いかにデータを詰め込むか」を求められる時代に変わりました。
石井:開発規模、人数、期間…どれも大きくなっていますね。最近入社したスタッフは最初から「ゲーム開発はこの規模感が当たり前だ」と思っているかもしれません。
吉田:インディーゲームのような例外を除けば、開発規模が小さくなる理由はないと思います。むしろ、今後もさらに大きくなっていくでしょうね。
ーガンバリオンとして25年間で変化したのはどういったところですか?
石井:一番変わったのは環境ですね。働き方やゲーム開発の環境もすごく整ってきたと感じます。
吉田:最初は「福岡の片隅でひっそりとゲーム開発をしている」という感覚だったのですが、スタッフ数が30〜40人に増えた頃に、「スタッフが多いなぁ」という感覚を覚えました。それ以降の感覚としては50人も100人もあまり変わらないですね(笑)
山倉:設立当初は給与計算から雑務まで全部自分たちでやっていたので非常に大変でした。今のように経理や人事など専門の担当スタッフがいるのは本当にありがたいです。
開発面で考えると、少人数の頃は目の届く範囲でモノづくりができたのが良かったですね。ゲームハードの進化に伴って、求められる技術力もどんどん上がってきました。開発がその進化に応える努力を続けてきた結果、25年たった今でも最前線でゲーム開発ができているのは誇らしいことです。
吉田:技術力ということで言うと最新開発タイトルの『ドラゴンボール ゲキシン スクアドラ』は6プラットフォーム、9言語、全世界での同時リリースを予定しています。これはシリーズとしても会社としても初めての挑戦です。
山倉:これだけの規模のタイトルをパブリッシャー様に任せていただけるのも、ガンバリオンの技術力があるからこそだと自負しています。25年間、積み重ねてきた努力の結果ですね。
25年間で印象に残っている事
ー25年経った今でも印象に残っている出来事はありますか?
石井:15年以上前、E3(※1)で開発タイトルを出展した時のことは鮮明に覚えています。イベントに出展することが開催直前に決まったので、限られた時間の中で全力を尽くすしかない状況でした。
吉田:出展1か月前にスタッフ全員を集めて、開発の方向性や意識を改めて共有する場を設けました。今でも当時のスタッフからは「あの時のことはよく覚えている」と言われますが、みんなで一丸となってゲームを仕上げるために重要な時間だったと思っています。
石井:なんとかゲームを形にすることはできたのですが、その後にも問題がおきまして…。今ほどPV制作が一般的じゃない時代だったので、PV制作の環境が整っておらず「会社に動画編集機材がない!」と騒ぎになりましたよね。
山倉:だから私の伝手で地元のテレビ局に頼み込んで、PCを持ち込みPV撮影と編集をしました。今考えたら、よくやったなと思います。
石井:『JUMP SUPER STARS』『JUMP ULTIMATE STARS』を開発できたこともすごいことですよね。
山倉:今でも覚えているのが、担当の方が一番最初にガンバリオンに来社された際に私と担当ディレクターは任天堂キャラクターがプリントされたTシャツを着ていて、吉田さんだけフォーマルな格好でお出迎えしたことですね(笑)
吉田:それが逆に良かった(笑)。ユーモアだけじゃなく、ちゃんとしている会社だという事も伝わったんだと思います。
※1…E3(Electronic Entertainment Expo)はアメリカで開催されていた世界最大のゲーム見本市。2023年に終了。
ーそれぞれ印象に残っている開発タイトルはありますか?
山倉:どのタイトルにも思い入れはありますが、『JUMP SUPER STARS』『JUMP ULTIMATE STARS』は印象深いです。自分が担当したタイトルでもありますし、あれだけの人気作品を1本のゲームにまとめるというのは、非常に大きな挑戦でした。
それぞれの作品に熱心なファンの方がいて、全てのキャラクターを大切に扱わなければならない。その中で、ゲームとしてのバランスを取りながら、全体として楽しめるものに仕上げるのは本当に難しかったです。だからこそやりがいがありましたし、今でも「『JUMP SUPER STARS』でガンバリオンを知りました」と言ってくださる方が多いのは、本当に嬉しいですね。
吉田:特に印象に残っているのは『ONE PIECE グランドバトル!2』です。リリース発表の瞬間に立ち会えたことを今でも鮮明に覚えています。福岡で開催されたイベントで、リリース情報が発表された時、会場から大きな歓声が上がりました。その時、「あぁ…この作品を楽しんでくれているユーザーが沢山いて、こんなにも喜んでくれている。」と実感できました。
さらに、全国大会も開催されて、実際にプレイヤーの皆さんと直接触れ合う機会があったのも大きかったですね。開発者として、ユーザーのリアルな声を聞けるというのは、何よりの励みになります。
石井:『ワンピース アンリミテッドアドベンチャー』が一番印象に残っています。初めてメインプログラマーを担当したタイトルで、当時は本当に手探り状態でしたね。何をどう作ればいいのか、どこまでやればいいのか、毎日悩みながらコードを書いていました。ただ完成したゲームの評判がすごく良くて、お客様に「面白かった」と言ってもらえた時は本当にホッとしました。自分の技術が形になって、誰かに届いたという実感を得られた、忘れられない経験です。
福岡のゲーム業界を盛り上げることへの想い
ガンバリオンはゲーム開発だけでなく福岡のゲーム業界を盛り上げる活動にも積極的に力を入れています。
ーなぜ福岡のゲーム業界を盛り上げる活動に力を入れるようになったのでしょうか?
山倉:会社を設立した当時はゲーム業界に対して「ゲームは教育上よくない」「ゲーム業界はよくわからない」といったネガティブなイメージがまだ根強く残っていました。そんな時代に、ゲーム業界を目指す若者が安心して進路を選べるようにするにはどうすればいいかを真剣に考えました。
そこで、福岡のゲーム開発会社とGAME FACTORY'S FRIENDSHIP(GFF)を福岡市・教育機関と連携して福岡ゲーム産業振興機構を立ち上げました。これは、ゲーム業界を目指す学生やその親御さんに対して、「福岡には信頼できるゲーム会社がある」「安心して働ける環境がある」と感じてもらえるようにするための活動でした。
その後、業界に入った若手クリエイターたちが、さらに技術を磨いていける場が必要だと感じて、CEDEC+KYUSHUという技術カンファレンスもスタートしました。これは、福岡にいながら最先端の知識や技術に触れられる機会を提供することを目的としています。
これからもこの活動は続けていきたいですし、福岡を「ゲームクリエイターを目指す若者が集まり、自己の技術を高められる場所」にしていきたいと考えています。
- 福岡ゲームコンテスト「GFF AWARD」
- 九州最大のカンファレンス「CEDEC+KYUSHU」
続きは次回「ガンバリオンのこれから」へ…!
設立当初のエピソードから、数々の挑戦、そして印象に残るタイトルまで――
25年の歩みを振り返る中で、ガンバリオンが大切にしてきた想いや姿勢が見えてきました。
後編では、現在のガンバリオンの姿と、これから描いていく未来について3人が語っていきます。
次回「ガンバリオンのこれから」もぜひお楽しみに!
26年度新卒採用四次募集の応募を受付中!
ガンバリオンでは26年度新卒採用四次募集の応募を受付中です。
募集職種はプランナー/アーティスト/プログラマーの3職種。
応募の締め切りは2025年9月4日です。
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沢山の方のご応募、お待ちしております!!